優しい嘘

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ずーっと以前、作家宮本輝が自身の小説が使われている大学入試問題を解いてみたとかいう記事を読んだ事があります。

その採点結果はさんざんなもので、模範解答を見ては『そこはそういう 意味だったのか・・・』っと作者自身が驚いたと云う事が書かれていました。

さて、私。

物心ついた頃から、父の気まぐれなお土産はケーキでもお菓子でもなくいつも小説でした。 バス待ちにフラリと立ち入る古本屋で中身も確認せず、片手でつかめるだけを買い込んで、いつも投げよこしては『土産』と愛想もなく云われたものです。

子供らしい『青い鳥文庫』もあれば、あまり子供が目にしては行けない本まで、きばんでホコリっぽい本がそれはそれはたくさん子供部屋に不似合いな程並んでいました。

だからかどうか。

作者の意図はどうあれ、活字の深読みを快感とするようになり、国語の評価が常に良かった事はささやかな自慢だったりします。

また、それに加え、子供らしさを良しとしない大人に囲まれて過ごしてきた時間の中で、それは活字でだけでなく、発せられる言葉をも敏感に『選り分け て』しまう癖がついたのは人としての魅力という点からすれば、マイナス要因を早々と身に付けてしまい、世の中を斜に構えてしか見れなくなった事は、ある意 味不幸だなぁとこの年になってしみじみ思ったりもします。

そんな私が最近二つの嘘をつかれました。

一つは、私の母が私を心配させまいとついた嘘。

もう一つは、娘が自己保身の為についた嘘。

どっちも口から発せられたときから、『ああ、嘘をついてる』とセンサーが反応しました。

だけど、母の嘘を私は見逃し、娘の嘘は追求しました。

そもそも、嘘なんてものは口編に『うつろ』なんて書くくらいだから実態を伴わないもの。

それをいかに『ある』かのように取り繕っても、重ねて行く言葉は空回りをするだけ。

それなのに、あえて嘘をついた。

そこに、発した者の思惑を私は読み取るわけです。

後に嘘を告白した母には『ありがとう』と言い、追求の末嘘を白状した娘には 『言葉』には発したものの心がにじみ出る事、相手を思う気持がかかせない事も話して聞かせました。

嘘はいけない。 だけど、時には『優しい嘘』が必要な時もあるという事も。

大切なのは、言葉に込められた『真』の思い。 それを分かる人になって欲しい。 嘘だけでなく、言葉一つにも受け取る人が居る事を忘れないで欲しい。

嘘が丸ごと罪なのではなく、相手を思い遣れなかった怠慢や悪意が思いもかけず深い傷を作ることがあるんだということ。

嘘でなくとも何気ない言葉が凶器になるんだと云うことも。

多分、娘には難しい話しだったと思います。

そそくさと頭の中の引き出しの奥深くになかったかの様にしまい込まれたに違いありません。

でも、彼女を形成するひとかけらであって欲しいと時間をかけて話して聞かせました。

文を書く事を生業にする宮本輝ですら、己から発した言葉の軌跡を想像もできなかったと云うのだから。

文才もない平凡な三十路オンナの言葉など、何をしでかすか想像もつきません。

だからこそ。

半年前の小さな嘘にも傷ついて未だに右往左往して、結局許せないで低くない壁をいそいそと積み上げている最中の私だからこそ・・・。

言葉の重みに身動きとれなくなったりするし、言葉一つに精一杯な思いを込めたりするわけです。

そして、そういう思いを惜しみなく伝えたいと切に思うのです。

いつの日か。

娘が私に『優しい嘘』をつけるようになった時には、極上の笑顔で見逃してあげよう。

そう心に決めています。


Author rota

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